春秋航空の毎月やっている777円セールで佐賀空港行きのチケットを確保したので、
レンタカーを使って佐世保に行ってきました。777円のチケットはほんと金銭感覚おかしい。(褒め言葉
ということで、ブレイブウィッチーズの舞台探訪です。
「佐世保編」と書いてありますが、サンクトペテルブルクに行く予定はないのでこれで終わりです(ちょ


佐世保を一望できる「弓張岳展望台」からの風景。
雁淵ひかりがお姉ちゃんを待っていたときのシーンはここからが一致度高い。
写真の方は、縦横比を若干変えています。そうしないとアングル合わなかった!
佐世保に行くと決めるまで全然知りませんでしたが、佐世保は太平洋戦争時の建造物がかなり残っている。
佐世保のシンボルとなる250tクレーンはもちろん、画像の左下の方にある赤レンガ倉庫群などもそのまま。
しかもどれも現役で使用中なものばかりだから凄い!
(だから関係者以外近づけない!!そして、ブレイブウィッチーズで出てきた特徴ある建物としては、もう一つ
「針尾送信所」があります。
雁淵ひかりがお父さんのお弁当を持っていった場所ですね。
あそこは、太平洋戦争開戦を知らせる暗号「ニイタカヤマノボレ」を送信した場所と言われることが多いです。(真偽は不明
実は先程の展望台からも、針尾送信所は見ることができます。
こちらです。
遠ッ!!グーグル先生で調べた所、この展望台から針尾送信所までは徒歩ルートでも
片道22km以上と表示されました。
つまり往復で44km以上、なんとフルマラソン42.195kmを超えています。
さらに驚くこととして、雁淵ひかりの通っていた「航空予備学校」の建物のモデルは、現在は「相浦駐屯地」となっている
相浦海兵団本部となります。
ここが、展望台から更に5kmほど離れた所にあります。
雁淵ひかりはあの日、朝に針尾送信所まで行ってお弁当を届けて、航空予備学校で訓練をして、さらに弓張岳展望台に向かったことになります。
家が経路上にあるとしても、
1日で軽く50km以上を移動している計算になってしまいました。
体力バカすぎる。。。
展望台に行ったのはお姉ちゃんが帰ってくるから特別だとしても、お弁当は割りと持っていっているようなので、学校と針尾送信所の往復とかは日常なのだと思われます。修行ってレベルじゃねーぞ!
さて、そんなわけで市街地から遠くはなれている「針尾送信所」にも行ってきましたが、
これが本当にすごい建造物でした。


畑しかないような場所に突如として現れるコンクリートでできた巨大な塔。
塔の高さは
約135m、こんなもんが
90年以上前(1922年)に作られたかと思うとびっくりです。


人が立つためと思われる部分が外に出ているが、それにより塔の巨大さがわかる。
現在、この塔のうち1つは内部まで見学が可能となっているので、近づいてみることに。


土曜日に行ったが、自分以外の見学者は結局1人も会わなかった。
貸切での内部見学です。

まず目に入ったのは、当時使われていた資材運搬用の巻揚機。
そして、真上を見上げると・・・

すごーい!!どこまでも続くコンクリートの鉄骨の光景、非現実的すぎて語彙力なくなりそうです。
たーのしー!!
大興奮したあと、今度は電信室の建物に向かいました。


電信室
ぜ、ぜんぜん違くね・・・?
と思いましたが、看板でとてもわかり易く説明がありました。

上の写真は完全に
ブレイブウィッチーズと一致!もともと1階だった所が土に埋められて、2階だった所に玄関や屋根を付け加えたりして、今の形になったようです。
建物の右端の方の斜めになっている部分などは、当時の面影が残ります。
ちなみにこちらは、建物には近づけず、少し離れた所からなんとか見えるくらいとなっています。
ちょっと残念。

針尾送信所については、2013年に国の重要文化財になったものの、アクセスが悪い場所にあるためか、ほとんど観光地化もされず、手付かずの状態で残されていたので、舞台探訪を抜きにしても行ってみてよかったです。
しかし同時に、あまりにも人が少なすぎて、この建造物を維持していけるのかは不安でしょうがないです。
私もちょっとだけ寄付箱にお金を入れましたが、こういうのはやっぱり残していってほしいと思います。
(今回の旅行では、佐世保の隣の川棚町にある史跡も巡りましたが、2012年に作られたパンフレットに書かれていた史跡の数カ所が跡形もなくなっていたのはショックでした。
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2017年02月26日 舞台探訪・聖地巡礼・艦これ トラックバック:0 コメント:0